言わせてもらえば |
寿司屋の煙草 |
山口瞳の「行きつけの店」を読む。 羨ましいようなエッセイで、食の随筆というより人の随筆であるところが身上。ときおり独善的な決め付けが見えるのだが、食の好みなんてものは所詮自分勝手なものでそういう決め付けも許される。そのあたりも承知の上で店と食とを舞台に自分の好みを開陳しているのだが、さて。 季節と店と食い物のテーマが続くなかに「九段下寿司政のシンコを食べないと、私の夏が終わらない」というくだりに写真があって、その寿司政のカウンターで山口瞳が煙草を喫っている。 これに時代を感じた。「あァ、古いなァ」 いまでも寿司屋で煙草を喫う人はいますよ。でも、もう流行らない。少なくもあれだけ「まわりに気を使う」ことを言った山口瞳が、いまならそういうことはしないでしょう。 嫌煙とかそういうことではなくて、あれだけ細かく気を配ることを言う人でも、当時はこのことに配慮する必要はなかったのだなァ、と感じる一枚の写真でしたね。 (2006年01月20日) |
c 1999 Keiichiro Fujiura |
表紙 |
黄年の主張 |
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