言わせてもらえば
秀行先生の異常感覚。


藤沢秀行名誉棋聖が日本棋院と決別するという。
理由は「日本棋院の免状代が高額過ぎて囲碁の普及の妨げとなる」というものだ。これまでに何度もそう主張したが受け入れられないので、これからは自分で免状を発行するというのだ。

新聞の記事で読んだだけの知識で書いているので実態はまた別の事情があるのかもしれないし、それだけで感想を書くのは軽薄と言われるかもしれないが、これに対する私の第一感は「秀行先生、偉い」である。 現在、日本棋院で有段の免状を発行してもらうと数万から数十万かかる。それを秀行先生は「初段は一万五千円、後は五千円刻み」という。秀行先生が実力を認めてくれて四段の免状を三万円で書いてくれるなら、私は欲しいと思う。

もともと免状など持っていなくても碁は打てる。「なんのために免状が欲しいのか」というのはきわめてメンタルな、平たく言えば見栄の領域に入るものだ。しかも、茶道や花道の免状と違い、囲碁には勝負がともなう。初段より弱い四段などごろごろしている。免状が囲碁の実力表示の基準にはなっていないのである。 実のところ、免状は日本棋院の収入源と有力者への贈答品となっているのが現状だと思う。秀行先生が怒る背景は十分にあるのだ。

とはいっても囲碁ファンというのは可愛いもので、強くなりたいし、免状も欲しいのである。しかしできればその免状はちゃんとした基準で発行された権威のあるものであって欲しい。私にとって日本棋院より藤沢秀行のほうが権威がある。政治的経済的有力者ならイージーに免状を出す日本棋院よりも秀行先生の免状のほうがよろしい。 清濁併せ呑む秀行先生のことだから案外な人にポンと高段の免状を出してしまうかもしれないが、それでも日本棋院の不明瞭さよりはましだろう。

昔、秀行先生が新しい打ち方で棋界の地図を塗り替えたときに「異常感覚」と呼ばれた。それも現在では異常でもなんでもなく、時代に進んでいただけだと評価が変わり、多くの棋士が秀行先生の手に学んでいる。今回の事件での秀行先生の考えも、棋院は「異常感覚」と呼ぶのだろうか。

日本棋院が碁の総元締たらんとするならば、ちゃんと顧客サービスを考えるべきだと思う。「日本棋院の会員として碁を打つほうがメリットがある」ということは何か、もっと考えなければ、既得の利益源を墨守するだけでは説得力があるまい。

現在の日本の囲碁愛好家は「自分の正しい棋力」すらわからないのである。棋院の免状は上記のように当てにならないし、韓国中国の段級位とは大きくずれているし、グループや碁会所ひとつひとつが違う物差しを持っているから同じ「初段」といってもまったく信頼性がない。 「日本棋院の会員の公式対局を記録し、その成績を記録していくことで段級位を正確にする」運動も、現在の技術なら、そして日本棋院が本気になるのならば、不可能ではないことだ。

例えば「会員がICカードを持ち、日本棋院認定の碁会所、認定の通信碁サイト、支部や企業スポンサード等の公式戦の結果がすべてそこに記録される」だけでも、かなりの棋力判断の整備ができるはずだ。また、それにより国際的な段級位のズレも長期的には補正できていくだろう。 これが唯一の方法だと言っているのではない。正しく危機感を持ち、やる気があるならば手段はいくらでもあると思う。

具体的な行動を示さず、免状を高額で売り、有力者には棋力と関係なく高段位を贈与し、結果として権威を失墜させながら生き延びていこうとする(しかし収益はずるずると落ちているという)のでは、日本棋院に藤沢秀行先生を責める資格はない。



(1999年12月09日)





c 1999 Keiichiro Fujiura

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