YogYakarta
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廃虚のようになった王宮周辺へ行き、
両替をすればルピア大尽となる。

豪華なナンバーのベンツ さて撮影開始となった。今度はジョグジャカルタの王宮周辺を撮る予定だが、ドンさんの話では「宮殿には入れない」という。

この町の王宮(クラトン)はいまでも王族の住居として使っているので内部の撮影はできないらしい。しかたがないので、その周辺を撮る。なにやら裏口のようなところから城壁の内側に入っていく。入り組んだ道である。

そこに停まっていたベンツのナンバーがえらく豪華だ。9が4つ並んでいる。きっと王族のクルマなんだろう。

昔の王宮がそのまま保存されているところもあれば、時代とともに(たぶん維持できなかったのだろう)他の施設になったものもある。

以前サルタン用の劇場だったという建物がいまはレストランになっていた。インドネシア王宮料理だという。舞台は漆を塗ったようで、素晴らしい彫刻の入ったガムラン楽器が並んでいた。「このレストランで食事しようか」と交渉したのだが、一向の滞在中は予約でいっぱいだという。

ヤシガニのようなマーク へんてこなマークが掲示してあった。
「これはなんだろう?」
「ヤシガニじゃないか?」
「まさか」

実はこれは産児制限のマークで、両親が子供を2人抱きかかえている意匠なのだった。インドネシアは人口が多すぎて、少子化を目指しているのである。


廃虚の屋上から市街を望む 水の宮殿を経て廃虚のような城跡に登る。剥き出しの城壁からジョグジャカルタの町が一望できる。「古都」の面持ちである。

古城の跡地が住宅や学校になっている。堀だったところが埋め立てられている。バラックみたいな住居もある。なんとなく「勝手に棲みついている」という印象だ。

古い城壁に囲まれた一角が広場になっていた。子供たちが、文化遺産のような美しい門をゴールにしてサッカーをしている。みな裸足だ。地面は建物の跡なので段差がある。そこをすごいスピードでボールを蹴りながら走り回っている。これはすごい。足の器用さが日本の子供とはまるで違う。

バティックを干す 伝統工芸の学校があって、染め抜いたバティックが普通の洗濯物のように無造作に干してあった。土壁の窓からのぞくと、どの建物の内部も美しい。
インドネシア人は素晴らしく造型感覚の優れた民族なのだ。アートにあふれた豊かで美しい生活をしていて時代に遅れた、そういう文化大国なのだと思う。


洞窟のような寺院 地下にもぐるムスクがあった。秘密の儀式に使ったのか、迷路のようになっている。小さな明かり取りの穴の光を頼りに狭い回廊をくぐって行くと意外な場所に出る。まるでRPGのダンジョンそのものだ。

蛇を売る人
城下に妙な活気のある一角があった。

竹籠が重ねてある。
そこは、動物市場だった。

蛇を首に巻いて売っている人がいる。

動物市場の籠
コウモリ、猿、蜥蜴。
これはみんなペット用なのか。
足元にその餌となる蛆や蟻がこぼれて、蠢いている。
ワシントン条約など存在しないような光景だ。



今日の撮影は終わった。
皆はすでに予約が済んでいるので自分の切符を手配しなければならない。
ソロからジャカルタへの便が261,000rp(3,706円)である。

ついでに、ジャカルタから先のことをドンさんに聞いてみた。
ジャカルタからシンガポールへの船はないらしい。

「インドネシアのことなら手のひらの裏表のように知っているから、なんでも聞きなさい」。

ドンさんはこの仕事が済んだらボルネオを手漕ぎボートで単独横断するという。すでに何度かやったことがあるらしい。
ボルネオジャングルの一人旅。
ドンさんの冒険家としての能力の高さがうかがえる。

ルピア大尽 3万円でこの札束 「はい、これはお約束の10万円」とヤマモリさんから封筒を受け取った。有難く貸していただく。

バドゥイの村に行くとなると山歩きになる。靴や雨具を買わなければならない。ホテルで3万円を両替すると2,010,000rp、すごい札束になった。100万ルピアづつ両手にして「ルピア大尽」になってウハウハしていたらダイトウ夫人が面白がってそれを写真に撮る。


夕食はPURAWISATAという劇場レストランへ行く。食事中、バリの出張所のような観光用の儀式が催される。白人観光客は感動してビデオで収めていたが、なんだか白々しい。食後、野外劇場で仮面芝居を見る。ラーマーヤナだ。

踊りはスローだが、劇は思ったよりテンポが速い活劇。しかし、はじめ悪役側の白い鹿だと思っていたのが実は主役の猿だと途中でわかる。あれがサルか?なんだかデザインの趣向がよくわからない。

自然の遠雷があって、野外の舞台に妙な効果を添える。このガムランの演奏はかなり上手なようだ。音楽は西洋音楽(マーチとか「剣の舞い」とか)の影響を受けた、民族音楽の「新曲」というふうに聞こえる。

ダイトウ夫妻は「眠いので」と途中で帰る。残った三人も連日の早起きのせいか無口。明日の朝も8時30分集合。プランバナンの撮影だ。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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