YogYakarta
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プランバナンでヒンドゥの塔を撮影し、
地元の女学生から英会話の練習台にされる。

ジョグジャカルタの踏み切り 翌朝6時過ぎに起きてしまったので、散歩がてらジョグジャカルタの街を歩いてPrusaniまで行くことにする。

適当に歩いていると小さな駅を通る。これはジョグジャカルタ駅ではなくて周辺駅のようだ。踏み切りを見慣れたデザインの電車が通る。


一度Purusaniに着いてしまったがまだ時間が早いので更に歩いてパレスのほうまで行く。

一人旅から急に団体旅行になったので、こうしてときおり一人で歩かないとどうも落ち着かない。ロケバスは便利なのだが、自分の足で歩くことも大切なのだ。

棺桶屋の朝 朝早いのに棺桶屋が開いていた。もっとも、急場に必要になるものではあるのだが。

日本では棺桶を直接見ることはもうなくなった。みんな葬儀社が陰ながら手配してしまう。落語には「早桶屋」というのが出てくるから、昔の日本の街角には棺桶があったのだろう。

見たくないもの縁起の悪いものはみんな闇に封じ込めてしまったのだと思う。それにしてもさんさんと照らす朝陽と棺桶はあまり似合わない。

川での仕事 橋を渡ると下の川で大勢が働いている。どうやら川の泥をすくっているらしい。長い間に土砂がたまって川が浅くなるとあぶないので、泥をすくって堤防に放り投げているようだ。定かではないのだが、なんとなく「町内会の仕事」という感じがする。

かなりの重労働なのだが、涼しげでもある。ひょうきんな男というのはどこにでもいるもので、働きながらも大声を張り上げて楽しそうである。


さあプランバナンへ 約束の8時20分が近づいたのでホテルへ行く。今日の撮影はプランバナンだ。ソロから来る途中でちょっと見かけた寺院である。

ヤマモリさんは10年ほど前に一度訪れたことがあるそうだ。

プランバナンの遠景 「そのときは田んぼの真ん中で1つしか塔がなかった」というが、いまでは修復も進んで、塔の数も大きいのが1つ、中くらいが8つほど、小さい塔がさらに数本(はて、塔はいったいなんと数えるのだろう?)あった。

辺りも芝生が植えられ花が咲き乱れてすっかり整備されている。


修復中のパゴダ
柵の向こうに墓石のようなものがきちんと並んでいるので聞くと「どこに入るかわからないピース」だという。ジグゾーパズルのようなものである。そのパズルからこれだけの塔を復元したのだ。

撮影中 組み立て中のものもある。足場だけができあがっていてその間に通路がある。建て売り住宅の土地だけが4つ並んでいるようなものである。磁石を取り出してみると通路はきちんと東西南北に切られていた。


ガネーシアの神像。塔の中は真っ暗だ。
修復されたパゴダに登塔する。

シバの塔、ガルーダの塔と分かれていて、シバの塔には4つの入口4つの階段がある。登って行くと真っ暗な部屋がありそこに神像が祭ってある。シバの塔には階段ごとに4つの部屋があり、4つの姿の像があった。シバは4つの姿を持っているのである。写真はそのひとつ、象の姿のガネーシアだ。

シバの階段の登り口には使い魔が飾ってあるのだが、ガルーダの塔の階段にはなにもない。これはもともとそういうものなのか、それとも単にまだ修復が進んでいないのか、ヒンドゥ教徒でない私にはわからない。


塔の中から
復刻されたせいもあって、ここのパゴダは装飾は凝っているが色は石の色でなかなか重厚感がある。黄色や赤で塗られた後年のパゴダより権威があるように見えるが、できた当時はそういう色をしていたのかもしれない。

けっこう観光客が多い。それも外国人ではなくインドネシア人が多い。現実に信仰の対象でもあるのだろう。

英会話学校の少女 その観光客の一行から、突然英語で話しかけられた。

聞けばこの近くの町、KLATENの英会話クラスの一行だという。ここに来れば外人客が来るから英会話の練習をしようというものらしい。

IKAという少女がいて一行のリーダーというか、いちばん積極的だ。ヲサム君がお気に召したと見えて「必ず手紙をちょうだい。くれないと日本まで行ってあなたを殺しちゃうから」などと物騒なことをいっている。インドネシアの女の子もなかなか情熱的である。

ヲサム君を指差して「He is very handsome.」などというので叔父のヤマモリさんは「誰が?」と憤慨している。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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