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このフェニックスホテルを選んだのにはちょっとした理由があった。私の勤める会社のシンガポール支社に近いのだ。 支社自体は他の街、例えばジャカルタにもある。他の支社に立ち寄る気はしなかったが、シンガポール支社だけは訪ねてみようと思っていた。 それは私が昔一緒に働いていた人が勤務しているからだ。彼、ナミキさんは優秀なコピーライターで英語にも堪能。いまはシンガポールでの制作部長だ。現地での姿をちょっと見てみたくなったのである。 |
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ジャカルタからナミキさんに電話した。 「これからシンガポールに行くんですけど」 「おー、なんの仕事で来たんだ?」 「いや、休暇なんです」 「なんでぇ 遊びかぁ」 こんなもんである。仕事をしていると休んでいる人は一段下に見えるのだ。たぶん私だって会社に戻ったらそういう感覚に戻ってしまうのだろう。 |
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ともあれ、会社を訪ねていった。だいたい日本の支社と同じくらいの広さのオフィス。現地の契約スタッフがラップトップマシンに向かっている。読めない文字のポスターが積んである。その奥で、わりあい広いスペースを与えられて彼は座っていた。会うなり仕事の話である。 「日本とのネットワークを強化したいんだよ。帰ったら手配してくれよ」 そんなこと言ったって、帰るのはずいぶん先ですよ。しょうがないから電話を借りて日本のスタッフに手配を頼む。頭がすっかり仕事モードに戻ってしまった。せっかく休みだってのに。 |
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「さんきゅさんきゅ、じゃ昼飯でも行こう」と、暑い街へ出て行く。支社の人たちがいつも食べている飯がいいといったら、なにやら中近東のような雰囲気の石造りのアーケードに入っていった。 |
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その一角に小さな飯屋があった。強い陽光の日陰になって、室内は暗く見える。石の壁に木の椅子、布の日除け。粗末な穴蔵のような店に、しかしすでに何人か客が座っている。「ランチセットふたつ」浅黒い肌のおばさんがうなずいた。 「セット」はすぐに出てきた。スープ、エスニックな香料のチキンライス包み、三色のアイスクリーム、コーヒー。なんだか食事よりもその前後のほうに力の入ったメニューである。どことなく「中近東料理」といった匂い。奢ってもらったからよくわからないがそう高い店ではないだろう。希望どおりのごく庶民的な昼飯屋で、しかもなかなか旨かった。 |
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「これからどうする」 「二三日いて、鉄道でマレーシアへ行きます」 「そうか、気をつけてな」 「じゃ」とナミキさんは支社へ戻っていった。東京で一緒に昼飯を食ったのと変わらない。あっさりしたものだ。 |
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