Jakarta
次へ


港を探しにいったが、その姿は見つからず
古いバタビアの面影を植民地バーに味わう。

ジャカルタには港があるはずだ。地図を見て適当に見当をつけ、港らしい方向に行く。えーと「アブドルムルス通り」からバスに乗るのである。

バス代400rp(6円)。途中KOTA駅の近くで賑やかなところがあった。腹も減ったのでこのあたりで降りて昼飯にする。

バスの通る道を越える、橋のような建物があった。中は電気街である。秋葉原、パーツセンターといった趣き。今日は日曜日なのでマニアや技術者よりもゲーム目当ての子供や若者が目立った。

下に降りて道路を歩いても電気屋ばかり。面白かったのは「蝿取りネット」で、ちょうどテニスラケットのような形のものだが、ネットの線に電気が通っている。それを蝿のいるあたりで振ると、蝿は電気に触れて死ぬというのである。なんだかすごく危ないんでないかい、これ?

駅の近くは市場のようになっていて、果物やジュースを路上で売っている店も多い。少し回り込むと中国系の一角があった。

その一店に入り、例によって「これとこれを炒めて、これを付けて、ご飯」という手まねで注文する。ご主人これを了解。野菜炒めと豚の薫製みたいなものとご飯を食べる。5,000rp(71円)


港はどっちだかよくわからない。とりあえずKOTA駅に行く。駅にいけばなんかわかるかもしれない。

JAKARTAKOTA駅はかなり大きな駅だった。ジャカルタから近郊への主要鉄道だという。ふと、ドンさんも自宅に帰るときこの駅を使うのかもしれないと思う。なんの根拠もないけど。

駅を越えた向こう側が旧港地区らしい。赤煉瓦の建物があったりして、どこかしら横浜の港地区に似ている。その建物はいま陶器博物館などになっている。

さっき博物館を見たばかりなので、もう博物館はいいやという気がする。博物館の間の公園で一休み。暑い日だったが、アイスクリーム売りをつかまえて木陰で食べていると、まあまあしのげる。

そうやって見ていると、どうもこのあたりは外国人の姿が多い。観光地なのだろう。

港を求めてかなり長い時間さまよったが、海の姿はここにはなかった。歩いて探すのはこれで限界だ、とKOTA駅のほうへ戻る。

昔の港を思わせる、ちょっと雰囲気のある通りを抜けると、公園の向かいに旧式の建物があった。見ると「CAFE BATABIA」と書いてある。バタビアというのはジャカルタの古い呼び名だ。その響きに惹かれて店内に入る。

あまりにがらんとしているので、まだ営業中ではないのかと思った。一階の入口にいくつかテーブルがあるが、それを過ぎると何も置いていない。どうやらこれはダンスフロアらしい。壁にミラー貼りのカウンターがあり、奥が一段高くなっている。あれがバンドスタンドのようだ。

上海バンスキングの世界である。入口に「貸切りパーティ」のフライヤーが置いてあるから現役の店なのだろう。ここを貸し切りにしたら気分いいだろうな。しかし階下には人の気配はない。階段があって、上で話し声がする。

階段に額に入ったセピア色の写真がたくさん飾ってあった。臭い演出だが、この店には似合っていた。どこか他所から持ってきたものではなく「この店の写真」だからだろう。

2階に上がると、思いがけずたくさんの客がいた。公園を見下ろす席に座って食事をしている。階段をあがってすぐのところにバーがあったので、カクテルを頼む。1杯30,000rp(426円)++。重々しく古風な味。ひさしぶりによく冷えたカクテルに出逢った。植民地のバー気分を、数杯堪能する。



c 1998 Keiichiro Fujiura


TOP PAGE表紙へ
GO MAPマップへ
GO PREVIOUS前へ
GO NEXT次へ