ふじうら旅日記
7日目
その1
今日はパロに戻り、タクツァンに登る予定。
二人ともなんだか気が進まないのだが。
ティンプーを離れる日がやってきた。今日はパロまで行って、タクツァン僧院を見に登ることになっている。はじめはそんな気はなかったのだが、カルマがどうしてもすすめたのだ。あー、昨日あんなに踊って大丈夫かなあ。山男カルマはぐっすり眠ったに違いないし、ハンディあるなあ。
寝たのは2時くらい。5時頃に一度目が醒めたけどまた寝たから4時間くらいは眠っただろう。9時出発なのでそれまでに準備を整える。作務衣を着て食堂に行くと向かいに座った白人から「日本の仏教徒か」と話しかけられた。「私はニューヨークから来た」「いつ出発したのです」「2週間前だ」。直前に発ったわけか。話をしている間にもちょっと涙ぐんだりする。多くの人が心に傷を負っている。
カルマは8時半頃来た。歩いてきたらしい。早く来たのは、昨夜クラブに行かなかったことを私たちが怒っていないかどうか気にしているのか。ミンジュは9時過ぎに来てカルマに何か話している。機嫌が悪い。「きのう、なんで来なかったんだ」と詰(なじ)っているようだ。
ミンジュに「よく寝た?」と聞いたら、あれからもう一度クラブに戻ったんだそうな。日本のクラブと同じで手にスタンプを押されてその日は出入り自由だから、私たちをホテルに送った後またクラブに戻って朝近くまで踊ったんだと。それにつけても最初のノリの悪さが理解できない。なんだったんだろう。ミンジュなりになにかを企てていて、それがうまくいかなかったと見えるが、踊ったらその憂さも晴れたということだろうか。
パロまでは見知った道のり。「この道をパロから来たときは、幻想的だなあ」と思ったんですよねえ」ヲサム君は昨日の落胆が痕を引いている。カルマも一度説明をすませた道なので口数も少なく、車内は静かだ。
遠く松茸が取れるという山が見える。ブータンの松茸は日本でも有名になったが、「取れる山はそこだけです」とカルマは言っていた。
パロ川とティンプー川の分岐点でクルマを停める。インド側の道路傍で地元の農家の人が店を出していた。家人への土産に唐辛子を買う。赤青ともに充分な量を買って15ニュルタム。
おまけにリンゴを2つと胡瓜をくれた。リンゴはともかく胡瓜は料理のしようもないので、後でガンティパレスの売店の女の子にあげた。
パロ谷が近づく。道に稲穂を並べている農家の人たちがいた。道路に、実の付いた稲を打ちつけている。稲の穂を茎から別けているのらしい。クルマは平気でその米の上を通る。むしろそれで分離がすすんで良いと思っているらしい。カルマに聞くと「千歯こき」も知らないようだ。海外協力隊にぜひ持っていってもらいたいアイテムだと思った。あんなに叩きつけては米粒が割れてしまう。
インド人の道路工事はこのまえより少しは進んでいた。コールタールの蒸気の中で黙々と石をもっこで運び、ローラーの周りを箒で掃いている。
パロ川の河原が見える。「バーベキューには良さそうな場所だね」。今度来ることがあったら、何もしないで河原でバーベキューをしたり魚釣りをしたら楽しいだろう。ただしそれに一日二万円払う価値があるかは別の問題である。
「高い釣堀だな」
昼飯はトラベラーズレストラン。準備ができていなくて、小一時間ほど待たされる。相変わらずのメニューだが、松茸と渋みの残るバナナが添えられていた。こういうバナナもそれなりに滋味がある。
午前中、雨が降ったり止んだりしていたので「降ったら行かない とカルマに言おうな」とヲサム君と話す。二人ともあまり気乗りがしていないのである。
「雨が止んだ。道の表面が乾いている。これは行くってことだな」「あーあ」
食事が終った時点で天候は大丈夫と見て、タクツァン僧院を見に登ることになった。ところでそろそろ残りのニュルタムの調整が始まった。最終的に空港税300ニュルタムを残して使いきらなければならない。このレストランで支払ったのはコーラ50ニュルタムづつ。食事代はあらかじめ支払った滞在費に含まれている。
タクツァンへの道。材木伐採所のようなところから森の道に入る。よい森だ。45分ほどの登り。不摂生と昨日のクラブのせいか息が切れる。この道は「案外楽」という意見と「けっこう大変」という意見があったが、私にとってはそれなりにキビシかった。これでも「イージーウェイ」らしく、急いで登る人は狭い谷川伝いのような「ハードウェイ」を登るのだそうな。
途中カルマが植物の解説をする。さすが山男。面目躍如だ。「紅葉はあるの?」「このへんではありませんが、もっと南に行くとあります」。私が草花の匂いを嗅いでいると「このへんのは安全ですが、高地に行くと匂いを嗅ぐだけで毒の花もあります」。どの花についてもブータン語と英語で名前を知っている。たいしたものだ。
マニ車のある小屋についた。その先にレストハウスが見えるので長居せずに先に進む。マニ車は右手で触って時計方向に回転することになっている。これに限らず仏教のお百度は時計回りだ。例えば四国のお遍路も正しい順路は時計周りになっている。右手が浄の手、左手が不浄の手、というのとも関係あるのかもしれない。
「不浄の手である左手で回したらどうなるの?」「いいことがない」「悪いことがあるのか?」「…そうだ」。悪いこととは例えば恋人が去るということ、とカルマが説明する。「じゃあオレ回さなくちゃ」「悪い恋人が二人になるだけです」。もちろん冗談である。
きつい坂を登りながら、息をゼイゼイ吐きながらも、それでも冗談を言うことは辞めない。「バター茶のことをスージャっていうでしょ」「ええ」「仏陀が断食をやめたときにミルク粥をくれた娘がたしかスジャータなんだよな」「へえ」「それでコーヒーにスジャータ」「あれはまだいいけど、トイレにサワディはないよね」「トイレにこんにちは」「全温度チアーってあるじゃん」「洗剤ね」「熱いのも冷たいのも飲むから、オレたち全温度チアーズ」、、、えんえんとやっている。
苦しいなかで冗談をとばして馬鹿笑いし、それでもっと苦しくなっている。まったく馬鹿な二人連れである。
ようやくレストハウスに着いた。タクツァン僧院を真近で見て、たちまち「やっぱり来てよかったねえ」。 これまでさんざん「遠くで見ても同じ」と言っていたのに、まるで発言に一貫性がない。たんなる自己正当化?ほんとうにサラリーマンだねえと二人で笑う。
それでもよろしい。ここで見るタクツァン僧院はブータンの旅の最後を飾るものとしてふさわしい眺めであった。
曇天だったのだが、僧院のあたりだけ陽光があたっている。しばし陶然と見とれる。
このレストハウスでは食事もできるようになっていて、白人の団体客がブータン食でランチしていた。私たちはコーヒーを頼む。絶壁の僧院を見ながらのコーヒーはなかなか贅沢である。近くでコスモスも揺れている。
ときおり鐘の音が聞こえる。涌き水を利用したマニ水車があるのだ。
外国人はここまでしか来ることはできず、直接タクツァンを訪れることはできないと思っていたのだが、どうやら申請をすればあの僧院まで行くこともできるらしい。ミンジュも一度行ったことがあるらしく、最後の登坂は手足を使って崖を登るようだと言っていた。次回来ることがあるかどうかわからないが、あの場所へ立ってみたいとは思う。年齢と体力が許せばだが。
山小屋の壁に唐辛子が干してあった。ちょうどよい枯れ具合で、山荘の景色にふさわしい。
下り道は楽なようで、足がつっぱる。山道に牛の糞が多いので注意して降りなければならない。
山道を下りながらカルマに一夫多妻の話を聞く。「複数の奥さんと複数の夫とどっちがいいと思う?」「奥さんが一人で夫が複数ですね」「なんで?」「そのほうが生活が楽です。一人の夫に二人の奥さんでは生活がタイヘン」。そりゃオレだよ、と言ったらヲサム君が吹き出した。
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