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南郷の部落に着くまでにいくつも橋があった。おじさんが橋の説明
をしてくれる。「この橋は途中に広くなっているところがあるだろう」
「ありますね」「あそこで盆踊りでもしろというんだが、無駄なことだ。踊る人
も住んでおらんのに」。その先に行くと「金が足りなくなったからこの橋
はなんの飾りもなしだ」。確かにこれまでの橋に比べるとずいぶん地味である。
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南郷に着くとおじさんは「ここに家があった」「ここは共同の水汲み場だった」
と教えてくれた。それらの家はもうすべて村を離れてしまっていまは山荘
がただひとつ残るだけである。
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いよいよ山荘に着いた。鍵を開けて中に入ると、「おおー」。囲炉裏がある。
純和風建築だ。「築140年だよ」。では、江戸時代の建物ではないか。
なんといえばいちばん伝わるだろう。漁師小屋?浜屋?網元の家?。まあ、そー
ゆー木造家屋だ。あがらせてもらって囲炉裏のそばに座ると、「落ち着
くねえ」。古い木の家の匂いがして気が休まる。確かにここで昼寝したら気持
ちよさそうである。
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裏の山にヒノキ林を持っていて、おじさんは檜風呂を自作したそうだ。「釘は
一本も使っていない。隙間をなんでとめたと思う?」「なんです」「御飯だよ」
ご飯をよく練って隙間に埋めるとお湯が入ったときふくらんで水漏
れしないんだそうな。
おじさんが彫ったヒノキの木枕もあって、いい香りがする。ヲサム君はしきりに褒めていたのだが、くれるとは言われなかった。残念でしたね。
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おじさんの名は栗本節夫さん。御蔵島に栗本姓は多くみな名前で呼
ぶというので、それにならって節夫さんと書くのが島の習慣
にあっているのかもしれないが、ここではクリモトさんと呼ぶことにしよう。
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クリモトさんは東海汽船の「船が御蔵島港に着けるかどうか」の判断をする役目
をしている。「毎日朝3時に起こされる」と少しぼやいていた。船が着くのが5時
だから3時に海面や風を見て返事するらしい。「明らかにいい天気のときは電話
するな、と言ってあるんだけどねえ」。重要な判断なので、みんなもクリモト
さんに頼りたくなるのだろう。
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駐在さんもこの山荘に入ったのは初めてだったらしく、いろいろ様子を聞
いている。「この下の海岸に夏は海水浴客が来るから、そこへ降りて行く道
などは一度見ておくといいよ」「はい」。良いアシタバの採れる場所
もそうだったが、この島に着任してほどない若い駐在さんにクリモト
さんはいろいろアドバイスしているのであった。
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クリモトさんがコーヒーメーカーを出した。「これはBBCが置
いていったものだけど、しばらくは何に使うものかわからなかった」。英国の
テレビ局は御蔵島の自然、とくにカツオドリを撮りに来たのらしい。
「アッテンボローという人がそこで寝とったよ」
コーヒーはとても美味しかった。さすが自慢の水である。「普通の
インスタントラーメンを青島知事に食わせたら、なんか特別のものが
入っているんだろうと言ったがね。なんも入っておりはせんよ。水が違
うだけだ」
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カツオドリは夜、海から帰ってきて窓の灯
りにどしどしぶつかってくるそうだ。手で捕まえることができて「子供などは
興奮して寝られない」という。それはそうだろう。大人だって興奮しそうな
光景だ。「一年に一週間だけカツオドリを食べていいことになっている」
「どうやって食べるんです」「カレーライスだ」。なんとなくシャモみたいな味
なのかなあと、カツオドリのカレーを想像する。
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昔はカツオドリの油を絞ってローソク代わりにしたのだそうな。「臭
くないですか」「そりゃ臭いよ」
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駐在さんがこの島に来てから何度か事故があったそうで、座礁の話や、エビネの
密猟者が崖の途中にひっかかってヘリコプターに助けられた話などをしていた。
操縦士のサトウさんはいちど荷物がほどけてローターにからまり300メートル
の高さから落ちたが、木に引っ掛かって辛くも助かったことがあるという。
それでも悪天候を得意としており「きょうもサトウさんだから飛
べたのだろう」と二人は話している。サトウさんというパイロットは腕が良くて
勇敢で、それに加えて冒険的な性格のようだ。
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駐在さんが「今日はひさしぶりにビールが飲める」とニコニコしている。ここ
数日、島のビールは売り切れていたのだが、今日船で運ばれてきたので店に並
んだそうだ。ああ、それでは朝あちこちで見かけたビールは今日船から降
りたものだったのだなあ。
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クリモトさんはいろんな話をしてくれる。島の若者と東京の娘の集団見合
いをしたが、恥ずかしがって誰も口をきかないのでじれた話。タレント
がここに来たが威張っていた話。そのときはタレントが旨いものを独り占
めするので用意していた伊勢海老を出さなかったとか。
「伊勢海老は御蔵島が一番安いですね」「八丈だと倍はする」「八丈島は東京と同じだから」と駐在
さんとクリモトさんが話している。
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さて、ではそろそろ帰ろうか。水は台所で入れなさい。どこかの水源まで水を汲
みに行くものだと思っていたので拍子抜けした。が、台所の蛇口の水を飲
んでみるとこれは美味い。澄んでいて、それでほのかに甘いような、山の水だ。
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