ふじうら旅日記

5日目 その3






キング牧師が「撃たれた場所」、そして
「撃った場所」を訪れる。

メンフィスにある公民権博物館。ここはキング牧師が撃たれた場所「ロレイン・モーテル」をそのまま生かして作られた博物館だ。

謎の路上生活者
入口近くに、なにか尋常でない気配を感じさせるものがあった。
立て看板の文字が読めるまで近づいて見る。「CIVIL RIGHTS MUSEUM」をバッテンで消して「CIVIL WRONG MUSEUM」と書いてある。さては反・民権運動の抵抗勢力か、と思ったのだが、よく読むと違うようだ。
CIVIL WRONG MUSEUM
そこにいた女性ジャクリーヌ・スミスはロレイン・モーテルに住んでいたのだが、キング牧師の死を期にモーテルの経営が悪化し、モーテルを廃業して公民権博物館になるとき追い出されて住居を失った。「モーテルを博物館にするより貧しい人の宿舎や治療所にするほうがキング牧師の教えにかなう」と主張して、以来15年以上、路上に住むことで抵抗運動を続けている、という。

「私のサイトで紹介するから写真を撮らせてくれないか」というと「OK。1分待って」と口紅を塗り始めた。服装も悪くないし清潔感もある。路上で暮しているといっても風呂にも入らないというわけではなく、かなりの支援体制があるように感じられる。
JACQUELINE SMITH
ちなみに彼女は自分のサイトを持っているそうだ。もちろんこの路上で作っているのではないだろうが。

人権を求めることは同じだろうに、方法論で合意できない戦い。あのころ内ゲバと呼んだものを見る思いがする。

さて。10ドルの入場料を払い、カメラを預けて入ると、まず冤罪者の写真展示。「これだけの人間が誤って犯人にされた」という例がえんえんと並ぶ。最初にガツンとショックを与える展示だが、みんな悪人面だ。差別の基本は顔だなあと思う。

続いて奴隷時代からの自由民権を求める運動の歴史がビジュアルで語られていく。よく出来た展示で、最終的にキング牧師に焦点が合っていくように構成されている。従って死後80年代以降の記述は少ない。

黒人音楽ミュージアムのときもそうだったが、アメリカの博物館の展示表現技術は高く、それぞれが別のヘッドホンを持って、その音声に従って歩くとちょうど目の前の展示の説明を聞けるようになっている。「それでは後ろを見てください」という声に従って振り向くと「それは当時の○○です」などというナレーションが流れてきて、なかなかドラマチックだ。

黒人がそうすることに対して白人が大きな抵抗を示したのは、同じ学校に行くこと、同じバスに乗ること、同じ店で食事をすること。具体的で日常的なことばかりだ。そのひとつひとつを行なおうとする黒人に、白人が執拗に抵抗し、暴力を振るった記録が写真や映像で残っている。

キング牧師の墓標。これは地上にあった。
展示のクライマックスはキング牧師の撃たれた場所。そこはモーテルのベランダで、キング牧師の立っていた場所には外に向けて花輪が飾ってあった。部屋そのものが当時のまま保存されている。

ガラス越しに部屋から撃たれたベランダを見ていると、ゴスペルの「Precious Load,Take My Hand」が流れてくる。見事な演出だ。
展示回廊が終って預けたカメラを返してもらおうとしたら「カメラを受け取るのは別館を見てからにしろ」という。通りを渡って「別館」なるものに行ったら、そこは「撃つほうからの視線」であった。ロレインモーテルだけでなく、狙撃が行なわれたとされる、向かいのモーテルまでもがこの博物館の一部なのだ。

その部屋に入ってみると窓から、撃たれたベランダがよく見える。その日キング牧師が立っていた場所に飾ってある花輪が「的」のように見えるのは皮肉な光景だ。
キング牧師の撃たれたベランダ。花輪が「まさにその地点」。
映像展示では当時の捜査の進行が語られる。「犯人はこの部屋のバスルームの窓から、キング牧師を撃ったのです」よくあるドキュメンタリーのようだが、まさにその建物の、同じ階の、その部屋の近くでそのビデオを見ると、現実感がまるで違う。

犯罪小説のように他の犯人の可能性や背後関係や捜査の矛盾などを示す展示が続いて、ふと、思い返したように暗殺の無意味さを表示し、最後に次の世代への希望と責任を語って、この博物館は終った。

もう、5時になっていた。午後いっぱいこの博物館にいたわけだ。相当に「重い」印象を残す展示内容だった。この記憶は後で効いてくると思う。





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