ふじうら旅日記

5日目 その1






ロックンロールの聖地、サンスタジオへ。
憧れのドアの内側に入って感慨にふける。

5日目 10月08日 水曜日

9時に起きて、近くのホテルの1階のTGI FRIDAYで朝食ビュッフェ。ここにもサラダバーはない。

その足で一度ビールストリートのエルヴィスグッズ店前まで行ってみる。
ここから観光客用の無料バスが出ているのだが、初バスが11時30分というので、クルマで行くことにする。ヲサム君も昨日よりは落ち着いている。

私がナビゲーター。まずUNION.Aveをまっすぐ郊外へ。目的地はSUN STUDIOだ。

サンスタジオの看板は大きなギター
SUN STUDIO
案外簡単に見つかった。駐車場の入口を探すのに多少手間取って店の前を2周ほどしたけれど、まずはスムーズな立ちあがりだ。

サン・スタジオは音楽の「聖地」のひとつである。
ロックンロールがここで生まれたのだ。
駐車場から入口に向かう壁に「このスタジオで録音したスターたち」の名前が書いてあった。

エルヴィスプレスリー、B.B.キング、
ロイ・オービソン、カール・パーキンス、
ハウリン・ウルフ、ルーファス・トーマス、
ジェリー・リー・ルイス、ボニー・レイット、
ポール・サイモン、リンゴ・スター、
トム・ペティ、U2...
サンスタジオの看板は大きなギター
ハウリン・ウルフのポスター
建物に入るとタイミング良くスタジオツアーが始まるところだったのでそれに加わる。

私たちを除くと全員白人だ。案内人もエルヴィスっぽい風貌で、髪をリーゼントにしている。
まずは展示コーナー。古いレコーディングマシン、当時の看板。1953年12月録音のレコード原盤が飾ってあった。私と同い年だ。
古いレコーディングマシン
スタジオの外で、ダイスケ君
メンフィスを舞台にした若者映画には、このスタジオを「外から見た」シーンが出てくるときがある。当時の若者の憧れの建物だったのだろう。

「あの中に入れば、スターになり、金が儲かり、女の子にモテる...」

そういう映画では、若者を拒絶するようにスタジオのドアは固く閉ざされ、ブラインドが降りていた。いま私は内側からそのドアとブラインドを見ている。
伝説のブラインド
女性マネージャーの机
スタジオと外の道の間に小さな事務所のような部屋があって、机が一つだけあるのだった。ここに有名な女性マネージャーが座っていたはずだ。
部屋の隅にペプシコーラのサーバーがあった。客に出したり、レコーディング中に飲んだりしたのだろう。
ペプシコーラのサーバー
伝説のスタジオ
いよいよスタジオに入る。

「ザッツ・オールライト・ママ」を録音したときのエルヴィスのマイクの位置、ギター、ベースの位置が床にマークしてある。マイクスタンドをその位置に立て、ウッドベースの脚が床につけた跡を見ていると、「当時の空気」を感じることができる。

あの曲も、またあの曲も、この場所で生まれ、記録されたのか。ドキドキするというよりは、少し、しみじみしてしまった。
壁にアーチストの写真が貼ってあるが、ほとんどの人が死んでしまった。それも、最近亡くなった人が多い。ジェリー・リー・ルイスが比較的長生きだったが、2年前に没した。「急速に伝説に向かっている場所」という感じもする。

ここで作られたレコード盤が海を渡って、イギリスでは若きビートルズがそれを聴き、東洋の島国でも多くの若者が電気に打たれたようにシビれ、ひとりひとりの人生を変えたんだ。
エルヴィスになりきる。
スーベニヤ・ショップ
スーベニヤ・ショップでSUNのレーベルマーク(レコードの真ん中に貼ってあるやつ)の入ったショットグラスを1個だけ買った。

このグラスでテネシーウィスキーを飲むたびに、この場所のことを思い出すだろう。




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