言わせてもらえば |
世にも貧相なコピーを電球に見た。 |
眠れなくって、談志のCDばかり聞いてたから、談志の調子でやらせてもらいますがね。(自慢じゃないが談志のひとり会のCD50枚全部持っちゃ取っ替え引っ換え聞いてるんで、すっかり口調が移ってしまいまして。寝る前に聞くと一種の睡眠学習なんでしょうか、とくに影響があるようですな) 世にも貧相なコピーがあるもんだとあたしゃ思ったね。あきけえってものもいえない。ま、言わなくも代わりに書けば同じようなもんだが。 電球ってあるでしょう。あの発明王エジソンの考案によるところの。あれが最近は安いんだ。エジソンはずいぶん苦心をして、最初は竹で作ったという、日本の京都の竹がとくに良かったと書物に書いてありますが、電球の真ん中にある線。電気を通すとぽっと光るやつ。輝くやつ。フィラメントっていうの。あの相場でも相当下がってるのか知らないけど、とにかく安い。100円ショップへ行ってごらんなさい。あたしは好きでよく行くんだが、安いよ。そらあ安い。なんせ二玉で100エンだ。ことによると饂飩のタマより安いんじゃあないかと私ゃ思うんだけどね。昔は饂飩なんか安かったね。一杯10円とかね、揚げ玉だけ入れて一杯5円なんてのもありました。そのころの電球っていったらたいしたもんだったよ。「一家を照らす」、「文明の光」なんと言ってね。 「奢る平家は久しからず」光る電球も久しからず、っていうのかね。その栄光の歴史に比べれば、電球の威勢も地に落ちたもんだ。そりゃまあ時の流れでなんとやら、しかたがないとしたものかもしれないが。で、くだんの電球先生。二タマで100円でもガラスでできてる割れ物だから、ちゃんと段ボールの紙の衣を着ていましてね。大切そうに一個一個包装してある。どうせ機械でやるんだろうけども、その紙の衣。段ボールの包み紙を見るともなく見ると、妙なコピーが書いてあるんだな。 コピーってったってゼロックスじゃあないんで。広告コピー、あるいはまたキャッチフレーズともいう。宣伝文句。これが電球の包みに印刷してあってね。それも仰々しい、大きな字なんだ。 そのコピーに曰く。「もっと節約。家計に明るさ。」だってよ。あーあ、ヤだねー。ヤだ。ヤだ。こんな貧乏臭いコピーがあるもんかね。電球ってのは20ワットから100ワットまであって、その20ワットなるものにもおんなじ「家計に明るさ。」って書いてるんだよー。いまの時代にどこの家計が20Wで明るくなるもんか。 もっと良く見ると「51Wで60Wの明るさ」15%の節約タイプ、カッコ当社比カッコ閉じ、だってよ。ヤだねー。考えてもみろっていうんだ。二タマ100円の電球を15%節約して、どれだけ家計が明るくなりますか。 こういう貧乏臭さいことを言ってるから、見てごろうじろ。いまやH立のテレビなんか見ているうちがあるかい。え?H立のパソコン使ってるやつがどれだけいるっていうんだ。ああ、先にそれをいわなきゃわからない。その電球のメーカーなんだが、H立なんだよ。足尾銅山、H立銅山の昔からってね。どうも、上ばっかり見て下の見えない上つ方。上下の真ん中に引いた線の下はわしゃ見えんよって体質なのかね。 もしお客様のなかにお差しさわりがあれば謝っておきます。わたしだって、H立の社員に知り合いがいないわけじゃないし、まああんまり悪口もいいたくもない。こういうとまた新聞に書かれるんだろう。「談志また放言」「眠れないのが理由?酒とクスリ乱用での発言か」なんてね。まあ私は談志本人じゃあなくてただ口調を借りてるだけだからそんなこともないだろうが。 昔話のついでだ。昔々、談志先生が駆け出しのコピーライター、当時の広告文案家だった時代があったと、そう思っていただきましてね。そのころのクライアント、当時はスポンサーといったが、得意先の広告部にもよく行きました。T芝という会社に初めて行って、名刺交換なぞをして、さて仕事の打ち合わせとも四方山話ともつかないことをしていると、向こうの広告部の部長なるものがね。おかしなことをいうんだ。「いやあ、チェーン店の親父っていうのが、これがしょうがなくてね。馬鹿ばっかりなんだよ」 さようごもっとも、と聞き流してもよかったんだが、そこは若かったというか。まあいまでもあんまり変わらないんだろうが、一言返したくなってね。いや、この、若き日の談志センセイが。 「ああ、そうですか、そんなに馬鹿ですか」「そうなんですよ、つきあうこっちがタイヘンなんだ」「ところでね、私の田舎の実家っていうのが電気屋で、T芝さんのチェーン店なんですよ」 これは相手はイヤな顔をしたね。でも嘘じゃあないんで。本当のことだから、言ったまでなんだが。ついでにいうとね。当時の田舎の電気屋だから節操がなくて、T芝、H立、Nショナル松下電器のチェーン店を兼ねていたんだ。「もうあたしだれでもいいの」って。サカリのついた女か安い女郎みたいなもんだ。おかげで看板や店先なんかはM下の、あれはなんていったかなあ、Sニー坊や、いやSニーであるはずはないんだけど、なんだか当時ケネディカットっていったか、七三に頭をぴったり分けた子供の人形は置いてあるわ、七色に塗られたオウムの人形は場所をふさぐわ、なんだかへんな飾り物がいっぱいあったのを覚えていますがね。 まだカラーテレビが珍しかったころで、とにかく色とりどりなものが来るんだね。メーカーが持ってくるんだ。どのくらい金を払っていたのか、それともタダだったのか。そのへんは、子供だったから知らないんですが。隠密剣士だったかな。ブロマイドをたくさん置いていくんで、それを持って子供の世界で幅が利いたのはうれしかった、という思い出がある。Nショナルキッドなんてのもありました。 まあ、いまでこそ電球に安手のコピー書くようなことになっちゃったけど、当時の電気メーカーなんてのは羽振りがよくって、お互いいい思いをさせてもらったこともあるんでしょう。その金で学校に行かせて貰ったと思えばあんまり悪口も言っちゃいけないなと。珍しく反省することもあるんですが、それもその一瞬だけでね。煙くてもやがて寝易き蚊遣りかな。これはまあ例えが違うけれども、すぐ忘れてしまう。まあ、こんな電子にも反省するときがあるという、一席でございます。 え、電子じゃない、談志だ?いいんだよ、それで。 (2007年03月21日) |
c 1999 Keiichiro Fujiura |
表紙 |
黄年の主張 |
前へ |
次へ |