言わせてもらえば |
酢排骨 |
うちの親父は酢豚のことをスーパイコーと呼んでいた。パイコーメンのパイコーだから、酢排骨と書くのかな。 それで、うちの酢豚はいつも骨付きだった。軍隊で南支にいったときにでも覚えたのだろう。話は変わるが、いまこの「南支」を打とうとして知ったのだけど、「支那」という文字は辞書に入っていないのだな。「伯剌西爾」や「玖馬」はあるのに、これはとても政治的な選択に感じられる。 この「骨付き酢豚」について別のサイトで書いたら、みんながえらく関心を示して「美味そう」「喰いたい」という。骨には味がないのに。何故。 これがシズルというものだろう。わざわざ指を汚して骨付き肉を喰い、その指を舐める。舐めるという行為自体ひどく悦楽的で、「愉しみをしゃぶり尽した」という感覚が伴う。 韓国では骨のことを「カルビ」と言うらしく「彼はカルビのように瘠せている」という言い回しがある。焼肉屋の「骨付きカルビ」は「馬から落ちて落馬した」程度の重語ではあるようだ。 骨付き酢豚(酢排骨)には、豚の肩骨付ロースを使う。 酢豚と同じように作って、さほど面倒な料理でもないのに、酢豚よりもウケる。これは骨の手柄であって、自分でなにをしたわけではないのに「骨を折った甲斐があった」などという気分になる。 (2005年07月14日) |
c 1999 Keiichiro Fujiura |
表紙 |
黄年の主張 |
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