言わせてもらえば |
旅から帰ってすぐの感じ。 |
サラタビで南部に行って、ロバートジョンソンの墓に参ってからしばらくして、明治神宮の参道を通りながら考えた。「あれも墓であり、これも墓である」。 とするならロバジョンをブルースの神であるとして、あの墓の前で神前結婚式をするブルースファンがいてもおかしくない。 聖地とはすべて墓か?いやそうでもないな。奇蹟の場所であることもあるし、「修行所」が聖地となることも多い。西洋の修道院もそうだし、高野山なども修行の場だ。 以前静岡支社にいたときに思ったのだが、富士山の周りにはやはりおかしげな人がたくさん住んでいる。霊峰のエネルギー、特別の場所の持つ力というものは実在するのだろう。 その力はもともと場所にあるのか。それを信じる人の胸に生まれるのか。 旅をすることは多く「人との出会い」だが、「場所との出会い」というものはきっとあるのだろう。イスラム教徒がメッカに立ったときの気持ちはどうなんだろう。しびれるほどなんだろうか。それとも江戸時代の伊勢参り程度のものなんだろうか。 ジャズとブルースの「聖地」に立って、自分は何を感じたんだろうか。たぶん、いま考えているようなモロモロのことを感じたんだろう。 そういうことを考えながら、原宿の駅から電車に乗って、会社に行った。 (2003年10月21日) |
c 1999 Keiichiro Fujiura |
表紙 |
黄年の主張 |
前へ |
次へ |