言わせてもらえば
ヤバンで行こう。

ジャズ評論家に寺島靖国という人がいる。この人は吉祥寺メグのマスターで、演奏家だった時代もあるのかもしれないが私は知らない。もっぱら聴き手としてジャズとオーディオを評論している人である。

どちらかというと奇矯な主張の多いタイプだが、ときにハッとするような発言もある。例えば、こういうのがあった。

ジャズ喫茶のマスターが集まってレコードやCDを聴いている。その中に、ピアノトリオなのだが著しくドラムの音が大きく、他のプレイヤーを圧しているものがあった。ジャズ喫茶のマスターたちは一様に「これはバランスが悪い」「話しにならん」とその演奏を酷評したのだが、その中にあって寺島氏だけが「これはドラムがこういうふうに叩きたいんだ。バランスがそんなに大事か」という発言をした。

こういう発想は聞き手よりも、むしろ演奏家に必要なものだと思う。

「バランス」は、言ってみればいちばんわかりやすいもので、どんな素人でも「バランスが悪い」ということはできる。しかしマイクを通した演奏の場合、音量のバランスはどちらかといえばミキサーの領域とも言え、音楽の最後に全体にかかるエンベロープ(外封筒)のようなものとも言える。

それより前に演奏家ひとりひとりの「オレはこう弾きたい」という情動というかイキオイというものが大事なのだ。それを忘れてはならない。


ところで 正月のNHKアーカイブスで井伏鱒二の古い番組を見ていたら、開高健が井伏宅にやってきて酒を飲みながら話をしている映像があった。

開高氏曰く
「モノを書くのには野蛮な力が必要なんだが、ときおりエレガントになってしまって書けなくなります。どうしたらいいんでしょう」
井伏先生曰く
「なんでも書けばいいんだ」
開高「いろはにほへと でも?」
井伏「そう。私もいろはにほへと と書こうと思ったことがある」

『エレガントとは書けないということ』と、開高健は規定しているのである。

洗練とかバランスは後からついてくればよいのだ。今年はヤバンで行こうと思う。




(2002年01月07日)





c 1999 Keiichiro Fujiura

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