私が福岡の大学に入る以前、陽水は「売れない人」でした。
上京してアンドレ・カンドレという名前でデビューしたけれど芽が出なかったのでいったん帰福したように記憶しています。アンドレ・カンドレという名前はRKB毎日放送のディレクターの命名、デビュー曲の伴奏は小室等だった、とファン誌にあります。
当時福岡で売れていたのはなんといってもチューリップ、それからりりィ、海援隊はまだまだ貧乏で、甲斐バンドはアマチュアに混じってポップコンに出ていたりしていました。天神のヤマハに行くとサンハウス時代の鮎川誠がいたりした頃です。
芸能人に限らず地方出身のタイプには郷土色を売り物にする人とひどく嫌う人がいますが、陽水は過激なほどの後者でした。「自分がこんな田舎から出てきたことが許せない」というような、憎悪に似たものを感じるほど。
しかし不遇の時代も70年安保が終るまでのことで、71年に出た「断絶」から陽水は一気にブレイクしました。
「氷の世界」は陽水3枚目のアルバムタイトル曲です。発表は1973年12月1日。すでに収録曲「夢の中へ」がヒットしていましたからこのアルバムが売れるのは間違いなく、事実その頃の福岡の飲み屋では毎晩歌われていたものです。
やや自虐的で純文学的な歌詞がポップスの楽曲として成立し、しかもヒットすることを実証したのは陽水の偉大な功績だと思います。
この歌は意外なカバーが多く、筋肉少女帯も「筋少の大水銀」でカバーしていました。探したのですが現在カタログに見当たらないようです。ちあきなおみ、坂本九が録音しているのも、ちょっと意表を突く感じです。
FGODでは2001年の春にはこの曲を練習していましたが「暖かいのに氷の世界でもないだろ」と、秋が来るのを待って10月のライブのアンコールで歌いました。
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