Kyaikhtiyo
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ようやく宿泊する村に着く。
そこから黄金の岩まではまた山道である。

バゴ(BAGO)を過ぎチャイトー(KYAI TO)も過ぎると山道に入った。周囲も緑に包まれる。こころなしか水分も多いようだ。しかし路面は乾いている。これまでに通った車に削られて、路面に轍(わだち)ができている。舗装路向きにクッションを柔らかくしたクレスタはぐぁんぐぁん揺れる。


村の餓鬼大将
道が少し開けて、村落に着いた。ここがチャイチーヨーの宿泊村らしい。入口に管理事務所のようなところがあり、入村料6ドルを取られた。なかなかしっかりしている。これを払うのは外国人だけ。もしビデオを持っていればまた別料金が加算されるらしい。

ちなみにそのとき受け取った入村証明書には「KYAIK TI YO」と書いてあった。インターネット上の多くのページは「KYAIKHTI YO」と記している。こちらのほうが英字表記としてはおそらく主流なのだと想像して、この原稿では後のスペルを採用した。が、実のところ名前の英字表記すら固定していないように思う。

店通り 村は入口近くに広場。そのまわりにいくつかの店。裏側が住居になっている。店の裏に回ると今日泊まるゲストハウス「シーサー」があった。表の食堂もシーサーという名前だから食堂と民宿を兼業する家だろう。

まだ暑いから夕方になるまで休もう、という。なんだ、それなら早起きして来ることはなかったんじゃないか。「ミャンマー人せっかち論」をまた思う。

ゲストハウスは高床式 家は木造高床式。バドゥイの家のように「縁側」程度ではない。二階に住んでいるほどの高さで、玄関までは簡素な階段を登る。

近所の家屋 入ったところが居間になっていて、そこをロビーにしてくつろぐ。 小猫が三匹、その母猫が一匹いた。親猫は暑いのでなにもしたくないのだが、小猫たちは元気だ。 風通しがよい。竹で編んだ椅子に座っていると、涼しくてうとうとする。

3時過ぎになった。さて出発しよう。部屋に荷物を置いて軽装で出かける。

村はずれに「バス発着所」がある。バスとは名ばかりで実はトラックだ。トラックの荷台に乗り込むための木製の足場も用意されている。パゴダの麓の集落まで、通常はこの「バス」に乗り合って行くのである。私たちはクルマがあるからそれで行く。

入場料を払ってバス発着所の入口の横木をくぐり、山道を登坂していく。けっこうな傾斜でジェットコースターのように谷川にまっすぐ降りていく急勾配の道などもある。岩場に泥がこびりついて乾いたような路面だ。先を行く車があると、とんでもない土埃が舞う。

ところどころに村人が座っていて、車が通ると道路に柄杓(ひしゃく)で水をかける。少しでも埃を押さえようというのか。そんなことをしても大した役には立たないし、水はすぐ乾いてしまう。この「水掛け」をする人が、発着所から麓の村までで100人ほどもいた。

聖地への道だし菩提心も高まっているから、なんらかの喜捨をする者もいるだろう。道を整地して埃が立たなくなるとかえってその稼ぎがなくなる、と考えているのかもしれない。

一日ホコリまみれになる、たいへんな作業である。女、子供、老人が多い。男たちはときおり道の修復作業の力仕事をしている姿を見かける程度だ。

道の途中にもう一度検問があった。一軒だけ小屋があって、そこで全員待たされる。機関銃を持った軍人が数人、厳しい視線で警戒している。「ゲリラがときどき出没する」らしい。

後から出たトラックと、ここで一緒になった。検問所にも荷台まで届く足場があって、連中は一度降りて休憩したり用をたしたりしている。 埃よけのターバンを捲いている人が多いので、中近東の民のように見える。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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