柏木
役者や噺家は、大看板になると住んでいる町名で呼ばれるようになることがある。最も有名なのは「黒門町」こと桂文楽だろう。
そのなかで「柏木」が三遊亭圓生の通り名、というのはあまり知られていない。どうもこの師匠は吝嗇(ケチ)だとか腹黒だとかいうイメージが付きまとっていて、ワリを食っているようだ。「柏木祭」という圓生の命日を祭る行事もあるのだが、その名を冠している新宿柏木でではなく没地の習志野で開催されている。
柏木とは現在の北新宿一丁目/二丁目あたり。山手線より外側で青梅街道より北の一角だ。駅なら大久保、東中野も近い。
圓生は昭和32年からの長い間をこの土地で過ごした。住所は「新宿区柏木一丁目125番地」となっている。一戸建てではなくマンション住まいだった。
亡くなるまで20年も住んでいたのだからもう少し地元との関わりもありそうなものだが、たいした痕跡は残っていない。都会だから芸人は珍しくなかったとしても、これが志ん生なら地元の酒屋や祭にもっと強い記憶を残していただろう。圓生師らしいひっそりとした暮らしぶりが偲(しの)ばれる。
これに限らず「柏木」という地名にまつわる逸話はあまり多くない。角筈に比べて「新宿の地名」という認識も低いように感じられる。
現在、新宿柏木公園はデモの集合地のひとつとして有名である。とくに都庁が西新宿に越してきて以来それを見上げるようにしてデモをすると、どこか闘志を掻き立てる効果もあるようだ。
ところで圓生はなぜ柏木に居を構えることにしたのだろう。「きわめて便利な場所」という圓生らしい合理性もあったろうが、圓朝に近づきたいという気持ちもあったのではないかと思う。
(2001年7月12日)
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