ふじうら旅日記
5日目
その1
首都ティンプーへ。
街もホテルもずいぶん都会的だ。
一週間の行程などというものはせわしいもので、ワンデュポダンのツェチュを一日見たかと思ったら翌日はティンプーへの移動である。もっともツェチュも後半は退屈して眠くなるほどだったのであまり未練はない。まだ見ぬ首都への好奇心のほうがはるかに強い。
朝食のときはよく晴れていたので、コバヤシ夫妻と「このぶんならドチュラからヒマラヤが見えるかもしれませんね」と話す。屋根の上のパラボラアンテナの先端にバケツをかぶせてある。雨水から保護しているつもりらしいが、なんだか妙な光景だ。
来るときより帰りは早い。ドチュラ峠をどんどん登っていく。まだ9時前なので向こうから来るクルマはほとんどいない。赤十字の印をつけた救急車と二度すれ違った。「こんな山奥をなぜ?」「薬を運んでるんでしょう」。
下界は晴れていたのだが山頂はやはり雲の中。途中では入道雲も出ていて山の湿気もみな吹き飛ぶかと思ったのだが、甘かった。頂上の広場で一休み。やはり視界は悪い。多くのクルマはまったくこの広場で停まることなく峠を過ぎていく。祭りへ急ぐのだろうか。ストーブとスージャのもてなしもなかなか味わい深いと思うのだが。
麓まで下り、大きなマニ車のある町の立体交差でいま渡ったばかりの橋の下をくぐってティンプーへ向かう。川沿いには奇岩奇石が多く、それにまつわる物語をカルマがしてくれる。「貧乏な若者が長者の娘と結婚する」という理解しやすいものもあったが、なぜそうなるのかストーリーの展開がまるで理解できないものもあった。理解できないくらいだから覚えていない。起承転結の感覚が違うように思った。
「それがあの岩なのです」という落ちで終る話が多い。ここを歩いた旅人たちは少しづつ近づきまた遠ざかっていく対岸の岩を見ながら、そのような物語を伝えてきたのだろう。確かに「なんでこんな形しているんだ?」と不思議になるような岩が多い。
そのうちに対岸が低くなり、谷が広がって、たくさんの家が見えてきた。これほど多くの家屋が並んでいるところをブータンで初めて見た。これが、首都ティンプーである。
ティンプーの手前に「アルミー(陸軍)」があった。仮想敵国はどこなのだろう?どうやら中国らしい。ブータンは中国とインドの国境地帯に位置しインド側に属している。そのためインドはブータンに駐留軍を置いているという。「最近中国の国境側に道路ができたのでブータンにいるインド兵が増えました」。かなり緊張しているのである。
いまティンプー川の右岸を上流に向かって走っている。町並みは川の向こう側に広がっている。対岸までの距離はかなりある。
市街地に入ってすぐの大きな橋は工事中だった。「この橋は『出会い橋』といいます」とカルマが解説する。色っぽい名前だがそういう話ではなくて、聖人が出会ったのだそうである。ブータンの「謂れ(いわれ)」は抹香臭いものが多い。
今日泊るホテルはその橋の近くの右岸、リバービューホテルだ。高級ホテルということだったが、なるほど、これまでのブータンのホテルとはだいぶ違う。ドアマン(女性)がいる。シティホテル風のフロントがある。ただしここでは二人一室である。
カルマがコンファームに行く間ホテルで待つことになった。
橋が工事中なので上流まで迂回せねばならずかなり時間がかかるというので、それまでに食事を済ませることにする。
時間があるので周囲を散歩したが、このあたりは道路があるだけで散歩にむかず早々に戻る。川幅はそう広くないが、首都の川とは思えないほど水が澄んでいた。水遊びする人、洗濯する人の姿が見える。
ホテルのレストランでヲサム君と食事。量は多く味も案外よいのだが、まったく辛くない。「チリを」と頼んだらちゃんと器に入ったのが3種類も出てきたのは期待以上だった。辛味噌にカレーを入れたようなもの。普通のエスニックチリソースのようなもの。そして唐辛子を刻んだもの。 「これは何?」と聞いたら「イヅィだ」と言う。なるほど。こういったものは皆イヅィなのだな、と納得する。
後でカルマに聞くと「イヅィは料理の名前というよりは調理法(テクニック)」ということだから、このような唐辛子と塩で和える調理法をイヅィというものらしい。
それにしても「ブータン料理は世界一辛い」という記事を読んで気合を入れているのにこの数日肩透かしばかり食わさせていささかがっかりである。ティンプーは店も多いし、情報もある。ここではもう少し「本場の味」を試すことができるといいのだけど。
待つ間に洗濯。例のごとくベランダにロープを張って干す。今日は晴れているからよく乾くだろう。
川と、その向こうの街の眺めがきれいだ。名前のとおり「リバービューホテル」である。
表紙へ
サラタビへ
ヲサムへ
前へ
次へ