ふじうら旅日記

4日目 その2






いよいよツェチュが始まった。
最初はじっと見ていたけど、段々退屈してくる。


廊下の階段のところに腰をおろしてしばらく祭りを見る。ツェチュの踊りは宗教的なテーマなのだそうだ。前半は仏教僧がいかにして在来の俗信を平らげたかを踊り、最終日には閻魔が登場して地獄での恐ろしい裁きを目前に表わす、ものらしい。

が、まだ初日なのでそういう恐ろしい想念が現出する様子もなく長閑なものであった。

中庭の半分ほどが舞台で、人々はその周りの石床に座り、正面に当る建物には僧が並び座っている。これは特等席のようではあるけれど、民衆は踊りに飽きたら歩き回ったりして気楽なものだが僧たちはずっとその席に居続けるのだから、見かけより大変なものかもしれない。黄衣の僧群には少年の姿も多い。

晴れ着の少女たち
音はシンバル、チベットホルン(この間ブランケットダンスのときにも活躍した金属筒法螺貝のようなもの)、それにホテルのロビーにあったような弦楽器や歌も聞こえてくる。僧の後ろあたりに楽隊がいるらしい。

踊りが一つあると、次は歌というように代りばんこに出し物が組まれている。歌は田植え歌のようなのどかなもので、女性だけのときもあれば男女のときもある。指を開いたり閉じたりするゆったりとした動きで、かがむときも物を拾う程度の速さだ。この歌い手たちは「王立歌舞団」の一員らしい。

一方「踊り」のほうは非常にダイナミックなものである。ブータンの観光写真にある姿そのまま。動物の仮面をかぶって青や緑地に金銀の錦を飾った衣装の踊り手が高く跳び、太鼓を叩き、くるくると回転する。

たしかにダイナミックではあるのだが、やることは跳ぶことと回ることだけだから、次第に退屈してくる。衣装は本当に素晴らしいものなので、着道楽のブータン人にとってあの衣装を見るだけでも目の保養になっているのかもしれない。衣装のあちこちに髑髏(どくろ)があしらわれている意匠が多い。初日とはいえ死の匂いを漂わせている。
客はときどきなにかを口に入れてくちゃくちゃしたりしているが、強い陽射のまぶしさに顔を覆いながらも、総じて踊りをじっと見ている。まだ祭りは始まったばかりである。

動物たちの踊り
Tshechu at Wandu Phodang
「あの仮面は牛です。あれは鹿です」とカルマが十数頭の獣面をいちいち解説してくれる。
「この動物たちとは死後あの世で出会います。そのときに彼らの姿を見分けることができれば、彼らが助けてくれます」

地獄の動物軍団が死後あなたを助けてくれるというのである。それは真剣に見なければならないだろう。

要所要所には警察官が立っている。外国人観光客もちらほらいて、約半数ほどはブータンの民族衣装を着込んでいるが、あまり白人に似合う服とは言いにくい。

単調な舞台のアクセントとなっているのがアチャラたちだ。アチャラは数人いて、それぞれでふざけあったり客をいじったりしている。ノリとしてはドリフタ-ズである。下品なしぐさも多いし、しつこいほどの繰り返しも多い。

二階席からの眺め ちょっと飽きてきたのでゾンの中を見て回る。二階の回廊にいるのは裕福な家族たちらしい。椅子があったので「座ってもいいか」と聞いたら予約席の様子であった。大人の着ている衣装は一階席客に輪をかけて豪奢だが、子供たちで民族衣装を着ているのは少ない。二階席の子供たちは洋化された服を着ていた。オーバーオールにジーンズ。だぶっとしたズボンにスニーカーという、東京の少年と同じような服装の子もいた。顔を見ても大人のミニチュアという感じで可愛げがない。

いくら伝統を守る政策を堅持しても指導者層がこのありさまでは。「ブータンの未来も平穏じゃないなあ」と感じる。

「こんにちは」と声をかけられた。「あ、こんにちわ」

五人組のひとりオオヒラさんが、ブータンの民族衣装「キラ」を着て立っていた。さすがに白人とは違ってよく似合っている。
「それ自分で着たんですか」
「ガイドさんに着せてもらったんです」
彼女は一人旅。英語があまり得意でないということで、エトメトに一人だけいる「日本語が話せる女性ガイド」を指定したそうだ。
「そうですか、で、ガイドは?」
「用があるから、祭りを見終ったらホテルで会おうって」

んー?つまり解説もなく一人で放って置かれてるってこと?大丈夫かなあ。話の様子から伺うとそのガイドはあまりサービス業には向いていないような印象である。熱心なカルマとはだいぶ違う。

キラ姿のオオヒラさん


昼はオーチャードホテル。名前だけは立派だが、ワンドュポダンのゾンの周囲にいくつもある簡素な宿のひとつだ。コンクリート床のレストランがあった。

客は外国人と裕福なブータン人。ブータン人は祭りにお弁当を持ってくるという話だったが、必ずしもそうではないらしい。祭りで混んでいたけれど、我らがカルマは朝のうちに予約していてくれたので待たずに座れた。例のごとく大皿ブータン料理バイキングで、外国人向けに妥協した味付け。まったく全然辛くない。

ところで席のすぐ後ろに不気味なものがあった。白い液体を入れたバケツに電気器具が漬けてあって、その電極プラグがコンセントに挿してある。なんかぶくぶくいっているから電気洗浄かなにかやっているらしいが、日本より電圧は高いし液体も酸溶液のようだ。私の座っている椅子のすぐ背後にそのバケツがあったので、できるだけ近づかないようにして昼飯を済ませた。

ワンデュポダンの村は高台の上にあって面積はそう広くない。広場からゾンまでは馬の背のような地形で通路になっている。狭い通路に石工の槌音や乞食の鐘音などが響き、なかなか賑やかである。前述したようにホテルも多い。門前町。長野善光寺前の旅館のようなものだ。

昼飯を済ませて、広場のほうへ行って見る。店を冷やかすなら現地の通貨ニュルタムがあったほうがよいのだが、これまで私は両替する機会がなかった。パロのホテルで両替しようとしたら「町でやったほうがよいです」と断られた。たぶんその前の両替で小銭を使い果してしまったのだろう。

というようなことを話したらミンジュが「両替してくる」というので20ドル渡した。しばらく経って手元に返ってきたのは840Nu。つまり1ドル=42Nuだ。ヲサム君がホテルで両替したときは「20$に対し924Nu」つまり「1$=46.2Nu」だったからこれはひどいレートだが、まあ急場のことだししかたないとした。

町の中心の広場へ行く。駐車場の周りを商店の建物が囲んでいる。

「インドの匂いがするなあ」とヲサム君がつぶやく。

ワンデュポダンの広場で
祭りよりも玩具
祭りだからといって屋台のようなものはあまり見当たらない。ちゃんと建物になった商店に人が群がっていた。

乾物が多く、チーズ、お茶などの塊が売られている。干魚の姿も案外目立つ。子供たちは安いプラスチックの玩具に目を奪われている。飛行機に人気があるように見えた。

ブータン人は靴だけは良いものを履いている。山道を長く歩く都合もあるのだろう。ワンデュポダンにも立派な靴屋があった。本物かどうかは知らないがナイキだとかDKNYだとかブランド品が並んでいる。

前の旅で買った安鞄が前日壊れたので、ちょうど良いからここで手持ちバッグを買うことにした。一応POLO SPORTSのロゴが入っていたが、当然偽物。8ドルの値札がついていたのを300Nuに値切る。

ホテルのレート「1$=46.2Nu」で換算したとして8ドルで370Nuだからいくらかトクだ。さっきの闇両替の分を取り返した気がするが、わざわざニュルタムにして値切っているので訳がわからなくなる。

町の端はそのまま山に沿って遠くの町へ行く道路となっていた。ここからバスもあるらしい。店々の物資もこの街道を通って運ばれたものだろう。

町の端は街道へ続いている




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