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このままティンプー川に沿って進めば首都ティンプーに着く。今日の目的地はワンジュポダンなので、どこかで川沿いの道から離れることになる。大きなマニ車のある広場で、カローラは停まった。ここで小休止。近くのホテルでトイレを借りる。ホテルといっても民宿のようなもので、トイレットペーパーはない。水バケツと柄杓(ひしゃく)が置いてあるスタイルだ。紙を忘れずに持参しなければならない。
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ホテルの入口は小さなロビーになっていて、若い王様の肖像がかかっていた。その周りに四人の女性がいる。「この人たちは?」「女王です」「四人とも?」「そうです」。聞くと四人の女王は姉妹なのだという。うーん。それでうまく行くのかなァ。異文化そのものだからなんとも言えないけど。
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マニ車の広場を回り込むようにしてカローラは坂を登った。橋を渡る。あ、さっきの道と立体交差になっている。ここはもうドチュラ登坂道の入口である。「ラ」とは「峠」らしいので、ドチュ峠ということだろう。しかし音ではドチュラ、ドチュラというから、ここではドチュラ(峠)と書くことにする。
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山を登って少し気温が下がる。いくつか集落らしいものがある。「イモを育てている」とカルマが説明する。ポテト、としか言わないのでジャガイモなのかヤマイモなのかまではわからなかった。
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いくつか家が集まっているところでクルマは停まった。「検問」だという。なるほど煉瓦造りの小屋に役所らしい看板がかかっている。しかし役人はいない。置いてあるノートに勝手に記帳した。なんか「してもしなくてもいい検問」という感じである。
女子供しかいない村だ。男は野良仕事に出ているのか。それでも峠の肩口にあたる村なのでここに停まるクルマは多いらしく、小さいながら酒場や宿屋もある。村人たちは木で組んだ屋台で林檎や桃を売っていた。
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遊んでいた子供たちがもの珍しそうに近寄ってくる。鼻水が垂れている。こういう子供の顔を見るのはひさしぶりだ。
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山頂に近づくにつれ雲行きがあやしくなり視界も悪くなった。雨雲のなかに頭を突っ込んでいく感じである。雨も降り始め、温度も下がる。「これじゃあヒマラヤを見るのは無理だなあ」。ヒマラヤどころか隣の峰さえよく見えない「ガスった」状態になった。
登りきるとそこは小さな広場のように開けていて、碑のようなものが建っていた。クルマをまわして駐車場所を探す。たくさんのダルシン(経旗)が霧の中に立ち並んでいる。時代劇のロケのような光景である。
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霧の中狭い坂道を登ると丸い建物が見えてきた。これがドチュラ(峠)の山頂レストハウスらしい。足元の土が濡れて少し滑る。入口のドアに鍵がかかっていた。「やっていないのかなあ」。小雨の中、建物の周りを未練たらしく回っていたらドアが開いて若い娘が顔を見せた。
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客がいないので閉めていたらしい。円形の建物の中は案外広く、ガラス貼り窓から射し込む光で明るい。入口近くは土産物店になっている。見るとUSドル建てで値段が書いてある。しかも「高い、、、」。仏画やキラ(女性の身族衣装)の帯など200ドル以上の値札がついている。
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寒いのでストーブで火を炊いてくれる。雨に濡れた服を乾かしているとほんのり心地よい。山小屋に入った気分だ。しばらく経つと娘はバター茶を出してくれた。これがスージャか。初めて飲む。お茶の香りはほとんどせず、バターのせいか塩味はけっこうある。想像していたほど濃厚ではなくむしろ「薄い」感じ。とくにうまいもんでもないが身体は温まるなあ、ちょっと生ぬるいからできればもう少し熱いほうがいいかな、と思いながら飲んだ。
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ヲサム君は「うー、これ不味い。飲めない」。苦手らしい。それでも我慢して少し飲んで、置くと娘がすぐ注ぎ足してしまうので閉口している。
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昼飯ができるまでの間、山小屋の中を見て回った。大きな望遠鏡がある。京大の研究室の人が置いていったらしい。それこそ「晴れた日はヒマラヤの眺めが素晴らしい」のだろうが、レンズキャップを取って覗いてみても今日は霧が白く見えるだけだ。近くの壁に大きな山岳写真が貼ってあったので、それを見て壮大な景色を想像する。
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どの土産物も高いが、Tシャツは6ドルで比較的安かった。とはいってもこれもきっと観光地価格なのだろう。実は持ってきた服の計算が違ってTシャツが1〜2枚足りない。国王即位25周年という、例の「鳥頭冠」を描いたTシャツがあったので「ここで買ってもいいのだが、、」と少し迷ったのだが、ずいぶん多くの客にいじられたらしく少し汚れているので見あわせることにした。
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そうこうしているうちにご飯ができた。唐辛子とチーズを煮込んだ「エマダツィ」、豚の煮物「バクシャパー」など、きのうパロのレストランで食べたものとほとんど同じメニューなのだが、味はかなり違う。エマダツィなど入ってる野菜も違う。エマダツィとは特定のレシピを指すのではなくて唐辛子(エマ)とチーズ(ダツィ)で味付けした煮込みはすべてエマダツィのようだ。つまりは「味噌汁」のようなものなのだろうと思った。
他のメニューはモモ(チベット餃子)、鶏肉を細かく刻んで煮たもの、ジャガイモと長豆の煮込み。ご飯は赤米だ。ブータンは鶏肉を食べないと聞いていたのでちょっと驚いた。じゃがいもと長豆の煮込みはバターたっぷりで、ちょっとクリーム煮のようでおいしい。。これは辛くない。
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ピクルスを刻んで皿に盛ったようなものが出たので、これを食べてみるととても美味い。青唐辛子、玉葱、茗荷のような根、エシャレットのような茎、それからパクチー(香草)などが細かく刻んでチーズと混ぜてある。
「美味い。これはなんというものですか?」「それはイヅィです」。それを覚えてブータンにいる間いろんなところで「イヅィ」を頼んでみたが、期待したものは出てこなかった。多くの場合、薬味のような刻んだ唐辛子が出てくる。どうやら唐辛子を刻んで塩を入れたものはどれもイヅィと見える。漬物と同じようにイヅィも場所によってレシピが違うものらしかった。ともあれ、ドチュラ(峠)の頂上で食べたイヅィはすこぶる美味かったのである。
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食休み。カルマはおとなしいがミンジュはすぐ落ち着きがなくなる。カルマは級長タイプだがミンジュは悪ガキそのままだ。ここの壁にも王の肖像があったので、見ていたら「女王は四人いるのだ」と話しかけてきた。うんそれは麓のホテルで見たから知ってる。「王様だけか?普通の人でも何人も奥さんが持てるのか?」「持てる」。そうか。ブータンは一夫多妻なのか。
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他にもいろいろ写真が飾ってある。なにかの戴冠式らしい写真で、僧衣の老人が王と同格に写っている。どうやらこれはいわば「法王」にあたる僧(ラマ)らしい。「政治的な長」と「宗教的な長」が並存しているようだ。
ブータンの国教はラマ教、ラマとは「僧」のことだが、そのなかでもとくにリンポチェと呼ばれる「活仏」を信じる仏教の一派である。分類としては「山岳密教」、チベット仏教に近く、日本では真言宗がその系統に近い。とまァこれは本に書いてあったのだが、体系的な知識があるでなし、正確にはわからない。わかるのは目の前の写真に僧が国王と同格に並んでいることだけだ。おそらくはこの老僧が「活き仏」なのだろう。
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そろそろ出発しようかと入口のほうに行き、壁に掛けられた民族衣装や仏画を見ていたら、先ほどの娘が近づいてきて「日本に博物館はあるか」と聞く。「そりゃあるけど、何だ?」「私たちはブータンの美術品を日本の博物館に売りたい。紹介してくれ」「連絡先くらいは教えられるけど、それ以上はできないぞ」。それでいいというので名刺をもらう。そこには店名、住所と、それに加えてe-mailアドレスが記されていた。
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「これは君のアドレス?」「いや、兄の」。ああ、さっきから料理を運んだりしていたのは兄さんだったのか。顔が似ていると思った。店の住所はティンプーになっていたから、このレストハウスはその出店らしい。ちなみに店名を「Busy Restaurant」という。「繁盛」といいたいのだろう。
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登りの道ではあまり対向車は多くなかったが、下りでは幾分多かった。むしろ時間帯の問題なのだろう。途中道路工事をしている。セダンで行くのは不安なほどの悪路もあったが、さすがミンジュは山道に慣れている。
そういえば1980年頃ダショー西岡夫妻がこの峠を越えたときには途中までしかクルマで行けず残りは山道を歩いて越えた、という写真がある。わずかな間に開発が進んだものだ。
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