ふじうら旅日記
2日目
その1
驚くほど岩山に近く飛行機は降りていく。
バンコク発カルカッタ経由パロ行、ドゥック航空KB121便。カルカッタで乗継の乗客を待つ間、もう一機のドゥック航空機が見えた。二機しかないというのに?しかも一機は修理中という話だったが?なにかの理由でカルカッタに全部集まったのだろうか。それともあれに乗り換えるというのだろうか。
気がつくとそのドゥックエア機は姿を消していた。後日ブータンの英字新聞「KUENSEL」で見たら「祭りに合せて修理完了して二機に復帰した」というから、おそらくその姿を見たのだろう。その新聞が伝えるドゥック航空広報マンのコメントがなかなか面白かった。
「皆さんはドゥック航空が時間に不正確だと言われますが、これまでたった一機でちゃんとやってこれたんですから。」
確かにそうだろう。一機だけで航空スケジュールを維持するのは至難の技だったろうと思う。
カルカッタまで3時間、カルカッタからパロまで1時間。遠くヒマラヤが見えるというので期待していたのだが雲が多くて視界はあまり良くない。うとうとしている間に飛行機は思いがけず高度を下げていた。
山の頂上の樹木に触れんばかりにして飛行機は着陸態勢に入った。印象としてはあまり険しい風景ではない。「湿度が高そうだな」川の流れが白くきらめき、植物は潤っている。
ほんとうに鄙(ひな)びた空港。
だけど、見たことがないほど美しい空港ビルだ。
小さな飛行機を降りて、あらためて「おぉ」と息をついた。盆地の小さな空港だ。周囲は山。川筋に沿った方向にわずかに空間があり、そこを通って着陸してきたらしい。
空港の周りには建物がほとんどない。「山」があるのみ。ほんとうに田舎の空港なのである。日本の田舎の無人駅の前に空港がある、と想像してもらったら近いかもしれない。
たったひとつある立派な建物が空港ビルだ。これも他の空港にあるような無機質なものではない。宮殿か寺院のように見える。
緑/赤/青/赤と規則的にならんだ宝珠のような文様が建物を飾っている。フレスコ画のように、漆喰(しっくい)がまだ濡れているうちに描いたもののように見える。この文様はブータンの基本的は装飾意匠らしく町中で見かけた。
PARO Airport Building
同機100人ほどの乗客のうち、日本人は10人くらいか。フランス人の団体がいるのが目立つ。機内で配られたKUENSELによると、アメリカ人観光客のキャンセルがかなりの数あったらしい。カルカッタから乗った客も数人いて「こんなに早くから予約が必要なフライトによく途中から席があるもんだな」と不思議に思ったのだが、あるいはそのキャンセルの影響かもしれない。
Beautiful Entrance to Lobby
ブータンのビザはまだ発行されておらず、この空港で受け取る段取りになっている。そのための申請書を用意しちゃんと写真を二枚貼ってもってきている。ビザ発行手数料は20米ドルだ。
ところが、その申請書よりも重視されたのはブータン外務省からの「ビザ発行を許可する連絡書」であった。これは旅行代理店「大陸旅遊」から渡されたコピーである。それはよいのだが、大陸が今回扱った客5人の名前が列挙してあるので、我々は1グループとして扱われることになった。「5人組」誕生だ。
その5人をセットにして一人20ドルづつ受け取ると、それでOKなのであった。申請書は?写真は?全然活躍することもなく我々の手元に残った。
イミグレーションのカウンターは田舎の改札、というか「村さ来」の会計くらいの大きさ。木製の枠の中に座っている。その向こうに小さな免税店がある。見ると、電器炊飯器を売っていた。
空港を出て、それぞれのガイドと初対面する。ガイドたちは空港の中に入れないらしく、表で待っている。 大陸旅遊から手配してもらった現地代理店の名は「ETHO METHO(エトメト)」。ドゥック航空機内誌「タシデレ」にも大きな広告を掲載しており、現地有数の大手だという。
「フジウラ?」「エトメト?」と確認しあって握手する。私たちを迎えてくれたのは若いふたり。やや痩せ型のガイド、カルマと、立派な体格のドライバー、ミンジュだ。クルマは普通のセダン。白いカローラ1800cc。
「山越えをするというのに、こんな乗用車でいいのかな?」とも思ったけど、まあ大丈夫だろう。祭りのシーズンだしオフロード車は出払っているのかもしれない。
Maindu and Wosamu
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