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金ができて安心したので、その足で港を探してみることにした。大きな橋で曲がり、川沿いの道を下流へ歩く。そのうち海に着くだろう。海につけば港があるかもしれない。 |
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暑い日だった。川では子供が馬を洗っている。男の子たちは丸裸で、椰子の木の下で砂遊びをしている。目の前が真っ白になるような陽射しだ。 私は首の後ろを日焼けで痛くしながら、てくてくと歩いていった。大きな砂浜に着いた。見渡す限りの砂浜にわずかに数人。腰まで水に入り、四角い網で漁をしている人が見える。貧しい漁村を通り抜ける。目を合わせるとにこりと笑うので、こちらも応える。 |
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港はどこにもない。砂浜に椰子の実が落ちていた。ここが名も知らぬ遠き島なのだろうか。しばらく歩くとまた広い道に出た。 日除けの小屋で休んでいるとバスが来たので適当に乗る。500rp(7円)のバスを3回乗り継いだら見覚えのあるアカシア通りに来たので、そこから歩いてホテルに帰る。旅行代理店はまだ開いていたので月曜日のスラバヤ行を予約する。ようやくこの町から出られる、という思いがする。 |
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スーパーマーケットSENTOSAの二階はレストラン、隣はカラオケになっている。土曜の夜なのでけっこう賑わっていた。 晩飯を食って、とくにやることもないので涼んでいると、黒い顔の痩せた男がなれなれしく話しかけてくる。「わからないよ」と日本語で答えていたら急に知っている単語とぶつかった。「ボニータ」と言ったのだ。ボニータ(可愛い子ちゃん)か。このアジアの田舎でスペイン語でポン引きされるとは思わなかった。急に植民地時代の匂いを感じる。 |
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ホテルに帰ったら、サラムがまた近づいてきた。マッチをひっきりなしに擦って、火をつけてはまた捨てる。やはりどこか精神が病んでいるようだ。 「ファーザーとマザーはジャワにいる。俺はもう5年、ひとりでここにいる。子供のときに来た。」 この男は存外若いのかもしれない。孤独のトラウマがあるのか。風貌は傷ついているようにも見える。 |
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テレビに英語のチャンネルはないが、フランス語のチャンネルはある。スーパーマーケットで買ってきたアンカーはギネスによく似た黒ビールだった。フランス語のテレビとイギリス風のビール、そしてスペイン語のポン引き。英語の通じないウジュンパンダンには、奇妙にヨーロッパが混在していた。 |
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