Surabaya
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スラバヤ港に寝並ぶ難民のような家族たち。
PELNIは船客の扱いが悪いのか?

フィルムと多少の土産を日本に送ってから港に行く。送料350,000rp(4970円)を現金で取られたので、手持ちのルピアが約70万になった。Tembaanまで輪タク(1000rp)で行き、そこからタクシーで港へ。タクシーは2500rp、他に入港料850rpを取られる。

船を待つ人々が建物の前で寝ていて、難民収容所状態。ここに加わって船旅をするのはちょっと大変だ。ゴザか毛布が必需品だろう。



港の建物はコンクリートであまり風情もない。少しだけ見える海面をインドネシア海軍の灰色のフリゲートが移動している。

ウジュンパンダンの港へ行ったとしても、同じような船着き場を見るだけだったのかもしれない。思えばサンボアンガからの船のほうがずっと扱いがよかった。PELNIの客の待たせかたは、かなりひどい。


客のような顔をして事務所で料金を聞く。ウジュンパンダンまで22時間。エコノミーで48,500rp(688円)だという。

ううむ。まったく話が違う。「2日2晩」だと言ったじゃないか。

インドネシアの人の話はまったく情報としては信じられない。とにかく目の前の、自分が思っていることがすべてであって、それ以外はない。


道で博打をしていたので写真を撮ったら 絵葉書を見ると、カリマンタンからの小さな帆船が集まっている写真があった。しかしどうやらこの港ではないらしい。どこか別のところに、小舟が集まる貨物港があるのだろう。


散るように逃げ去ってしまった。 まあ大体この港で見るものは見たので、帰ることにする。タクシーが待っていたので、値段交渉をする。来たときの値段よりずいぶん高いことを言うので「じゃあいい」と降りようとしたら、運転手が「アルク アルク」という。

なんで歩くという単語を知っているのだ?聞き直したらメーターのことをアルクというのだった。メーター通りで行くということで、適当な盛り場まで乗る。


バスがたくさん通る道があったので、またも適当に乗る。Tembaanという地名を覚えており、そこからならホテルへ歩いて帰れるので、運転手に「そこを通るか?」と聞く。

「おお通るよ、さあ乗って」
へんな外国人に、客もみんな親切だ。
「ここに座れ」
「もうすぐ降りる場所だ」

トーキョーの外人になった気がする。
それにしてもこのバスの車掌はすごい。停留所に着くとバスから降りて、客の大きな荷物は運びいれてやって出発進行だ。非常に働き者である。


感心してそれを見ていたら、妙な物売りがやってきた。新聞を手に持ってこっちの顔をのぞき込み、ちょいちょいと手招きする。

そんなインドネシア語の新聞なんか読めるわけないじゃないかと手元を見たら、新聞 の陰にエロ写真を隠していた。これを買えというのだ。しかし白昼堂々バスのなかでよくやるよ。


町並みの屋根はリンガーハットのマークのようなかたちが目立つ。港の近くに行くと、どこかしら中近東のようなたたずまいの石造りの建造物が多くなる。遠い都の建築術が伝わってきたのだろうか。それがこの古い貿易港にエキゾチックな香りを加えている。


ベチャ(輪タク)の座席は前部にある Hyattの中にイギリスパブがあってカレーフェアだというので、そそられて食事をする。イギリス人が集まってビールを飲み、みんなでテレビのサッカーを見ている。植民地最後の「心の砦」という感じ。「英国人も群れたがるんだなあ」と再確認する。

水までミネラルウォーターで金を取られたが、カレーはうまかった。さすが印度を所有していた国だ。マティーニとカレーと水で53,543rp(760円)。それに比べて途中の店で飲んだコーラが700rp(10円)。バス代が300rp(4円)。

ホテルの中と外の価格差が大きすぎる。


夜になって、雨がふりはじめる。今日も街娼を冷やかしに行こうと思っていたのだが、これは「もう今日はこれでおとなしくしていろ」ということかもしれない。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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