Jakarta
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部屋に虫がいたのでホテルを引っ越す。
ドンさんの家は民族道具の宝庫だ。

夜中にかゆくなった。部屋に虫がいる。くそ。

3日分前払いしたが、ここの部屋は気にくわない。そう汚くもないし、シーツも湿っていなかったのだが。まあ、この高温多湿ではしかたがない。朝7時に起きて荷造り。長滞在するつもりで洗濯したものも、濡れたまま袋に入れる。フロントに行って部屋が気に入らないから前払いの金を返せと交渉する。当然相手は「もう返せない」と言う。「理由はなんだ」。

「虫がいる」と大声で言ったら、他の客の手前もあったのだろう、しぶしぶ2日分払い戻した。

表を歩いてみると140,000〜150,000rpでけっこうまともなホテルがある。

ジャクサ通りは一方通行なので出口側のホテルに泊まるとクルマで帰ってきたときにかなりの回り道になる。それならいっそ表通りにしよう。

表通りにも、ちょうどジャクサ通りからこぼれたような感じでいくつかホテルが並んでいた。そのひとつCIPTAホテルにした。朝夕食付きで150,000rp(2130円)。けっこうこぎれいな部屋である。


9時30分の待ち合せだったので、プレジデントニッコーへ行く。みんなが揃ったらすぐドンさんの家へ。郊外の一戸建て。奥さんと二人の子供と一緒に暮らしていた。

冒険家の家というか。いろいろな民具が飾ってある。槍、背負子(しょいこ)、箱、帽子、布。ドンさんはまた気前が良くて、なんでも「これを持っていきなさい」と言う。パプアニューギニアに近い島の織物を貰ってしまった。お返しできるものが何もない。ロケ隊は残ったフィルムやドンさんのバドゥイプロジェクトへの義捐金を渡す。

ドンさん一家 二人の子供のうち、上の娘(10歳)はもう反抗期。

ドンさんはしきりに「うちに泊まれ」と誘うが、泊まれというその部屋はその娘の部屋である。 年頃の女の子の気持ちがあんまりわかってないんじゃないかなあ。もちろん辞退する。

「フジウラさんは、これからどこへ行くつもりですか」
とドンさんが聞く。
「マレー半島を北上してバンコックに行き、それからミャンマーに行くつもりです」
「そうですか。ミャンマーに行くなら、ウィスキーとタバコを買っていきなさい。高く売れるよ」
いいことを聞いた。バンコックで仕込んでいこう。
「はい、そうします」

ドンさんは一行と別れるときまで「この箱を持っていきなさい」と、とんでもなく立派な木彫の衣装箱をすすめていた。船便なら送れるから、と。
限りなく親切で、欲のない、肉体的にも精神的にも能力の高い、立派な冒険家、立派なガイドだった。ありがとう、ドンさん。また会いましょう。


ニッコーホテルに帰って「日本風ビーフカレー」を食べ、さて午後はお土産モードだ。ブランドを指定されたというので、シャネルの店を探すのだがなかなか見つからない。そごう、西武、いろんなショッピングビルへ行く。それにしても日本資本ばかりである。

土産用の影芝居人形やガムランの楽器のミニチュア、木製小物、大量生産のバティクなど、いかにも土産物というのが並んでいるショッピングセンターをあれこれ歩く。

こういうのがかえって「観光」という気がする。この感覚は、あー、ちょっと病んでいるのかもしれない。


ひととおり買い物もすんで、6時にBINHOUSEへ行く。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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