平田神社

代々木駅の前の通りをまっすぐ西に進むと、代々木1丁目の信号のところで小田急線の下をくぐる。そのガードを過ぎてすぐ右の坂道を登ると平田神社がある。

この神社は国学者平田篤胤を御霊としている。代々木は受験生の町なので「大学者にちなんで受験への霊験を」という参拝客でなかなか盛況、受験グッズも置いてある。

平田篤胤がなくなったのは天保十四年(1843)。天皇(明治神宮)でも将軍(乃木神社)でもない現実の人物が神になったという点では、かなり新しい神社である。それにしてもなぜ平田篤胤は神になったのだろう。それほどの大学者なのだろうか。

誰かが祭られるときには、もちろん偉大な人物であったという理由もあるだろうが、もうひとつ「怒りを怖れるため」という要因もある。同じく受験の神様、菅原道真の天神様だって「鎮魂=崇りのないように」という性格が強い。

どうやら学者というものは魔法使いに近い不思議な力を持っていると思われていたようだ。また国学者たちの関心事にもかなりオカルト的なことが含まれていた。篤胤より一世代前の新井白石は「人間の生死は陰陽二気の集合離散であり、死後、陽は神に陰は鬼になる」という説を唱えている。国学者と陰陽師は存外関係深いのだ。

平田篤胤は幽冥信仰などを含む神秘的な尊王神道を推進し、神葬改宗と廃仏毀釈の原動力となった。ハングルに似た古代文字「日文(ひふみ)」を発表したが偽作と非難され、晩年その言動の過激さのために「江戸退去」と「著述禁止」を申し付けられて寂しい死を迎えたという。憤死の崇りを怖れて鎮魂の社が建立された、と想像することは難しくない。

ともあれ、この神社の周辺は古風な雰囲気を帯びている。夏の夕刻などに散歩するにはぴったりの小路だ。

(2001年7月27日)




仙境異聞
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江戸の末期を騒がせた「天狗に育てられた少年」寅吉のインタビュー。 聞き書きをおこなったのは平田篤胤だ。いわゆる学者のスタンスとはやや異なっている人だと思う。




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