圓朝宅跡
三遊亭圓朝の墓が谷中の全生庵にあることは、落語ファンならご存知の方も多いと思う。八月十一日の命日には全生庵で圓朝忌が開かれ、多くの噺家が集まる。昭和の終わりころから「圓朝祭り」と呼ばれることになってさらに派手な行事となった。
墓がここにあることから圓朝は谷中千駄木あたりに住んでいたと思われるかもしれないが、圓朝の住居跡は新宿にも残っている。場所は新宿御苑大木戸門を出て左へ行った「花園公園」の中だ。
圓朝は比較的転居の多い人で、若い頃は義兄が住持をつとめる谷中長安寺の近くに住んでいたが、独り立ちして池の端、浅草、浜町などを移り住み明治20年頃、新宿北裏町に居を移した。ちなみに圓朝は明治維新を30歳で迎えたという。
圓朝が新宿に居住していた頃は主にみやこ新聞への連載を中心とした「著述家圓朝」時代である。50代の大半を新宿で過ごした後、牛込、芝、神田佐久間町に移転し、下谷車坂町で亡くなった。
花園公園は新宿御苑駅のすぐ近くにある。靖国通りの向こうにある「花園神社」とは違うものなので勘違いされませんように。
(2001年7月3日)
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