ふじうら旅日記

7日目 その1






マディウォーターズの生家を尋ねるが
なかなか見つからない。

7日目 10月10日 金曜日

目がさめたら晴れていた。ラッキー。絶好の墓あばき、じゃない、墓探し日和だ。
メンフィスで買った「Blues to the Bone(骨までブルース、みたいな感じ?)」という文句の入った黒のTシャツと黒ズボンを穿く。

ホテルの朝食は案外ビジネス客が多かった。ネクタイを締めた白人たちは派手な格好をした東洋人に近づかず、そこに誰もいないかのように無視していた。

まずはマディウォーターズの生まれた小屋を目指す。しかし、見つからない。
自伝の写真で見ているから、あれば気づくはずだ。
たしかにこの道だと思うのだが、そして小さな建物はいくらもあるのだが、特定できない。
それらしい小屋はあるのだが
クルマを降りてあたりを見渡してみる。
湿地だ。
足元がジュクジュクしている。
マディはこのあたりの小川で「泥だらけ(マディ)」になって遊んだに違いない。

大きな農家があったので、入ってみる。
家の後ろはすぐ広大な綿花畑だ。
私有地なので、うかつに入ると危険な感じ。なにせ奴隷制の本場である。

黒人の掃除夫が道を掃除していたので、聞いてみる。
「マディウォーターズの家を知らないか」
「マディウォーターズって誰だ」
念のために文字を見せる。
「知らない。オレはこのへんの者じゃないから」
そうか、黒人なら知っているというわけでもないのだな。

途中の雑貨屋で「私はマディを知っているよ。マディの家はこの先だよ」という婆さんがいたので、よし、とその案内に従ったのだが、やはり見つからない。

田舎なのだ
これは縁がなかったのかもしれない。
今日の予定は他にもある。あきらめて先へ行こう。

残念な気が漂うので、ヲサム君が
「さ、気分を切りかえて先へ」
このあたりの呼吸は長いつきあいなのでうまいものだ。

それからの道筋でも廃屋を見ると「お、マディウォーターズの家だ」。最後には「すべての廃屋はマディの家である」という調子になった。
特定できなかったのはあまねく存在しているからだ、だから常に一緒にいるのだ、なんてね。





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